大学の入試問題において、特定の教授の学説が影響を与えることはありうるのであろうか。国公立大とりわけ旧帝大クラスになると、露骨にわかるような問題は「ありえない」と言い切っていいだろう。受験生側はオーソドックスに教科書を勉強すればよいのであり、志望校の現役教授たちの学説、思想信条をわざわざ調べて山を張る必要は全くない。
しかし、後日振り返って「そういえばあの問題は、あの教授の思想に影響されているのかなあ」と思いを致すのは自由だし、興味深い。2014年東大世界史は、そういう意味で印象に残った。
世界史上「帝国」は、様々な形態を取りながら各地に広範な影響を与えてきた。しかし、拡大とともに「帝国」は周辺地域からの挑戦を受けることになる。各時代における「帝国」に関する以下の設問に答えなさい。
問(3)1946年に始まったインドシナ戦争は、1954年のジュネーヴ会議により終結した。しかし、この地域での共産主義勢力の拡大を恐れるアメリカ合衆国はこの会議の決定を認めず、その後およそ20年にわたり、ベトナムへの政治・軍事的介入を続けることになった。
(a)1965年のはじめ、アメリカ合衆国はベトナムへの介入をさらに強化する決定を下した。この決定を下した大統領の名前とその内容を2行以内で記述しなさい。
(b)ベトナム戦争の戦費の拡大により、アメリカ合衆国の財政は悪化し、1971年にはその経済政策の変更を余儀なくされた。この新しい政策の内容とその国際的影響を2行以内で記述しなさい。
東大世界史は、大問が3つ。それぞれの出題テーマが冒頭に提示され、そのテーマに沿った大論述、小論述、短答設問に答えていく形式だ。提示されるテーマを理解しているか否か、さらにはその価値観に同意するか否かは、点数を取るうえでは実はあまり関係ない。ぶしつけに問いたいことだけ問うのも無粋だから、私の問題意識はこうなんですよ、とご丁寧に出題者が書いてくれている、という趣なのだ。
上記設問は、アメリカが帝国である(!?)ということを自明の前提のようにさらりと提示してきたので、当時これを見た筆者は大変驚いた記憶があった。設問自体は単純なベトナム戦争の問題なので、気にしないなら気にしないで済むのであるが。
この「帝国」論で真っ先に思い出したのが、藤原帰一著『デモクラシーの帝国』(岩波新書、2002年)である。民主主義でありながら帝国、という二律背反を訴えかけるタイトルが印象的だ。社会通念上は民主主義国家の代表格と思われているアメリカを「帝国」呼ばわりするのは北朝鮮か共産党しかありえないという時代なので、東大教授がそれを言うのか!というのが相当衝撃だった。本の内容としては9・11後のアメリカと世界の動きをわかりやすく論じている名著なので、ぜひとも読んでいただきたい。今回のロシア・ウクライナ戦争を考える上での一助にもなろう。
ところでそもそも「帝国」って何だろう。統一した定義は無いのではなかろうか。考えれば考えるほどわからなくなってくる。2017年東大世界史でも第1問大論述で「帝国」テーマがどーんと出された。こちらはローマや中国の古代帝国についてであった。過去問研究をしていた受験生は「また帝国か!」と思ったことであろう。
東大世界史はトレンドと教養の集大成であり、ただの入試問題として毎年消費されるだけなのはもったいないことだ。たまにはこうして良問をしみじみ振り返るのも楽しいものである。
余談だが筆者は、藤原教授の授業「国際政治」で優をもらったことがある。ただの自慢である。