日本の英語試験における双璧を成すのが、東大英語vs英検1級。問題を比較すると、本当に面白い。東京大学vs文部科学省の価値観バトルが見て取れます。

東大英語の最大の特徴は、なんといっても時間の制約。試験時間120分が、本当にあっという間に過ぎてしまうほど、濃密なよく練られた問題が次から次へと襲い掛かってきます。時計をちらちら見ながらじりじり汗をかいていたら、いつの間にか試験時間が終わっている。人生でこれほど早く過ぎる2時間は経験できない、というほどです。

試験開始45分たったらリスニングが始まる、というのも独特の形式です。最初でも最後でもなく、ど真ん中にリスニングをぶち込んでくるのがまた気持ちの切り替えを厄介にしてています。リスニングの歴史は古く、今から35年前の1988年から導入。センター試験にリスニングが導入されたのは2006年ですから、相当なものです。余談ですが、センターにリスニングが導入されるのをすごく嫌がっていたのが東大。そんなリスニングは点数として認めたくないとして、導入当初はなんと合否判定のための合計点数にカウントされませんでした。

筆者が特に難しいと感じていたのが、第4問(A)に配置される正誤判定問題5つ。難解な長文の中に巧妙に間違いが仕組まれているものを指摘する形式の問題で、5問すべて不正解となってしまうことさえ、よくありました。

たとえばこれは2023東大英語第4問(A)の冒頭。東進による訳では、

 言語は決して中立ではない。人類に一義的に平和と幸福をもたらす言語など存在しない。他の言語よりもある特定の言語の方を選択することは、ある文脈では特定の話者によってより中立的であるとみなされるかもしれない。しかし、この特定の言語は、別の文脈や他の話者からは、政治的な意図を含み、偏った選択とみなされる可能性がある。英語は、共通語としての地位が疑われないことが多いため、そのように思われるかもしれないが、こうした社会的現実の例外ではない。

となります。日本語にしても何のことやらわからない。まさにそういう文章です(その10も参照)。で、このよくわからない文章の中に傍線がいくつか引いてあって、さてどれが間違いでしょう?という問題です。この難解さといったら、類を見ないですね。

一方、文部科学省が主宰するのが英検。これは完全に、知識を問う試験ですね。ネイティブでも知らないような単語を知っていたらすごいだろー、って試験。レアな単語やイディオムとか、会話表現とか、要するに知っているかどうか、そしてしゃべれるかどうかが問われる問題。コミュニケーション重視。

長文についても、英字新聞や雑誌をすらすら読めるかどうか、という品質。複雑な文構造というのは無いし、何を言っているかわからないというのもない。要するに、ビジネスパーソンに必要な英語という感じでしょうか。ちなみに、文科省の子会社ともいえる大学入試センターが取り仕切る大学入学共通テストは、今や英検準1級と問題形式も難度もそっくりというのは有名な話です。

英検の文章はすらすら自然に読める内容なのですが、上述のように、東大の文章は、ん?ん?これは何を言いたいのだろう…と一文一文立ち止まって考えないと飲み込めません。ただ英語がペラペラなだけの教養無き中学生には決して解かせないぞ、という強い意思を感じます。

そう、東大の「難解」は質の違う難解さなのです。求められる単語レベルは低い。英検準1級=早慶レベルよりも確実に低い。求められるのは国語力。英語なのに、国語力なんです。問題文の芯をとらえ、そして過不足なく返答する能力が問われているのです。

高尚な、知的好奇心を刺激するほどよい長さの長文を読んで、当然理解した上で、さあ何を考えるかがひたすら問われ続けます。これが旧制一高以来の伝統的価値観ということでしょうか。含蓄ある、しみじみ味わい深い問題を出してくれる。英語の総合力がすべて問われてくるからこその、上位者のみに許された点数の安定と、受験生の実力が必ず反映される良問となっています。

東大英語を攻略できる人は、確実に英検1級を攻略できるでしょうが、その逆は成り立たない、と言ったら言い過ぎかもしれませんが。ともあれ、東大英語、恐るべし。

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