近年、大学入試が多様化している。毎年2月25日に実施される国公立大前期試験が一番のクライマックスであることに変わりはないが、早い大学では秋ごろから総合型選抜、学校推薦、公募推薦などがすでに始まっている。そこで必須となってくるのが面接、そして小論文だ。ここ熊本水前寺校では毎年、熊本大学や熊本県立大学を目指す生徒の論文添削指導の需要が高い。後期試験まで考慮するならば、小論文を必要とする生徒の割合はなかなかに高いものとなる。
さて旧帝大では、どのくらい小論文が必要とされているのだろうか。実は意外と少ない。前期試験で小論文を課すのはなんと、阪大薬学部と九大共創学部の2大学のみ。後期試験なら多いだろうと思うだろうがさにあらず、北大(文・教育・法・経済)と京大法学部、そして九大(文・法・経済・農)の3大学しかない。東北大、東大、名大においては、小論文という科目自体が存在しないのだ。
昔は東大前期の国語で400字作文という、ある種ミニ小論文のようなものが出題されていたのだが、とっくに無くなってしまった。あまりにも的外れなことを書く受験生が多すぎて、全然採点しようもないし、入学試験としてふさわしくないから、と言われているが真相は不明だ。
たしかに小論文は、採点する側にとっても面倒であろう。主観が入ることは避けられないため、どうしても基準があいまいになるし、その点数で入学を判断してよいのだろうかと考えてしまっても無理はない。そして何よりも、当の学生自身に、全然書く力がない。悪文を読まされる採点官はさぞ苦痛だろう。
というわけで、旧帝大というよりむしろ一般の国公立大において需要が高めの小論文であるが、インターネットで「書き方」等を検索してみるも、参考になる記事は皆無。これだけ需要があるにもかかわらず、あまり方法論が確立していないようだ。
惜しみなく教えよう。論文の書き方の極意は、以下の2つに尽きる。
- 1)譲歩構文 「たしかに~、しかし~」を用いて論を構築する
- 2)引用 同じことを言っているにしても、原が言いました、というのと、ソクラテスが言いました、というのでは全然違うのである。いかに高尚な人物を引用できるか。時代は古ければ古いほどいいし、地域(洋の東西)も遠ければ遠いほどいい。
はい。ノウハウはこの2点に尽きるのだが、高品質のものを完成させられるかということになると、結局は読書と教養が響いてくる。岩盤の厚みのような教養がなければ、小手先のテクニックなんてすぐ底を見透かされる。
小論文における教養としてとにかく持っておきたいのが、知識の「引き出し」である。もちろん、上述2)の引用において活用するものだ。いろんな分野の引き出しがあることが望ましいが、なんといっても哲学が最優先だろう。帰納法に演繹法、そしてカント、ヘーゲルの弁証法。政治学ならマックス・ヴェーバーだったりハンナ・アーレントだったり。経済学ならアダム=スミス、ケインズ、マルクスが鉄板か。今流行りのMMT(現代貨幣理論)なんかを引用してもあまり意味はない。賛否両論だし、まだ評価が定まっていないので危なっかしいではないか。そう、大学受験というステージにおいては、理論としていい意味で枯れており評価の確定している「古典」が安全安心なのである。
以上、小論文対策の概論を述べました。教養を深めていくための方法論などについては、また稿を改めて。